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直方鉄工協同組合80年史より〔発行:1981年(昭和56年)3月〕 |
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1.組合創立六十五周年を迎える |
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創立65周年記念式典 |
明治三十三年直方鉄工同業組合が発足してから昭和三十九年まで、数えて六十五年の歳月が流れました。この六十五周年を記念して昭和三十九年五月十五日、直方市公会堂において記念式典が行なわれ、理事長高原彦三郎氏が次のような式辞を述べました。
式 辞 |
直方鉄工協同組合理事長 高 原 彦三郎 |
本日ここに来賓各位の御臨席と組合員多数御参列のもとに直方鉄工協同組合創立六十五周年記念式典を挙行する運びに至りましたことは、私の衷心より喜びとするところであります。
顧みますれば明治三十三年当時、十五工場を以て直方鉄工同業組合の名称のもとに発足以来、その数年後の明治三十七年には日露戦争が勃発、我が国の大勝利となりまして国威大いに揚がりましたが、この間石炭鉱業は殷賑を極め、直方鉄工業界もまた戦争景気で大いにうるおいました。
大正四年に至り業者は二十七人に増えまして組合の名称も直方鉄工業組合と改称されて、本格的鉄工組合運営の道が開かれました。
その年九州水力電気株式会社の動力線が市内の鉄工所に延びまして、今まで人の手によって操作していた工作機械の原動力は、電力に切替えられ作業能率は驚くべき上昇を示して、直方鉄工業界は画期的躍進を見せたのであります。
やがて大正六(ママ)年には欧州大戦乱が勃発して筑豊炭田の景気は好況の一途をたどり、炭坑からの直方鉄工業界に対する機械器具の注文は殺到し工場数も急激に増加致しまして一躍七十三工場を数えるに至りました。
そして製品の販路は、内地は勿論、台湾、韓国、満州に伸びて、年産額は二百五十万円に達するという盛況を見せたのでありますが、この好景気は大正九年大戦乱の終熄するまで三カ年あまり続いたのであります。
ところがこの大戦乱のあとに深刻な不景気が世界的に広がりまして、我が国に於きましても財界パニックにもとづく経済界大混乱の影響を蒙り、筑豊炭田は炭価大暴落のため甚大な被害を受けました。
炭坑と運命を共にする直方鉄工業界は当然そのあおりを受けて、機械の注文は途絶え、納品代金の回収不能という最悪の状態に追い込まれ、運営は行詰り再起不能かと憂慮された時代もあったかと存じますが、先輩組合員の皆さんは克くその苦難を乗り越えられまして、遂に今日の日を迎えた次第でございます。
近年燃料革命によりまして、石炭産業の斜陽化に伴い、現在におきましては炭鉱用機械から一般産業機械へ生産転換の体制も次第に整いまして、年産額四十億円に達するところまで到達いたしました。
各工場は将来に備えましてそれぞれ体質の改善を行ない、製品の高度化と販路の拡大に努めている現状であります。
目下産炭地域振興事業団に於て造成中の中泉工場団地竣工の暁には、工場の集団移転により事業の合理化を図って、大飛躍を期そうとしているとき、組合員諸氏の相互団結により今後益々技術の改善と向上に意を注がれると共に、新しい時代に即応した経営の基礎を充実して、事業の繁栄を図り、直方鉄工業界の発展に寄与されることを切望すると共に、来賓各位の絶大なる御指導御鞭撻をお願い致しまして式辞と致します。
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また、来賓から次のような祝辞が寄せられました。
式 辞 |
福岡通産局長 琴 坂 重 幸 |
本日ここに直方鉄工協同組合創立六十五周年記念祝典を挙行されるに当たり、一言お祝いの言葉を申し上げます。
御承知の通り九州の機械工業は石炭、鉄鋼、造船を基盤として発展して参りましたが、特に筑豊地区の機械工業は石炭産業と共に成長したといっても過言ではありません。
しかしながら、最近の石炭産業の合理化或いは鉄鋼業界の不況は、関連産業に大きな影響を与えることになりましたが、直方鉄工協同組合におかせられましては、長期にわたる経験と基盤によって、産業機械への機種転換、新製品の開発に努力を払われて、ここに創立六十五周年を迎えられたことは誠に敬服に値するものであります。
当局におきましても、昨年三月学界、地元業界の御協力を得まして、九州機械工業振興対策委員会を設け、今後の九州における機械工業の振興対策およびその推進について検討を進めまして、近くその成案を得ることになっております。
機械工業は、わが国経済の高度成長に最も大きく貢献して参りましたことは御承知の通りでありますが、これと同様に産炭地振興におきましても、機械工業の発展が最大の効果を挙げるものとして期待されております。
直方鉄工協同組合が今後更に共同体制の強化と技術水準の向上を図られて、産炭地振興のみならず、わが国産業界の発展に大きく寄与されることを念願いたしまして祝辞と致します。
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このほかに、次の方々が祝辞を寄せられました。
祝 辞 産業振興事業団九州支部長 仲 島 守
〃 福岡県知事 鵜 崎 多 一
〃 直方市長 西 村 房 雄
〃 福岡県中小企業団体中央会長 大 塚 政次郎
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2.組合および組合関係者の受彰 |
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組合の受彰
(イ) 昭和二十六年十二月、直方砿機工業協同組合は、優良協同組合として、中小企業者九州連合会より表彰されました。
(ロ) また、昭和三十三年、門司市で開かれた第八回中小企業団体九州大会において、直方鉄工協同組合は、優良組合として、九州中小企業団体中央会より表彰を受けました。
組合関係者の受章
組合関係者で、各種褒章を受けられた方々は次のとおりです。
所 属 |
氏 名 |
受章の年 |
種 別 |
受章の理由 |
(株)直方歯車製作所 |
佐田 徳一 |
昭和17年 |
紺綬褒章 |
直方少年塾初代塾長としての功績 |
(株)直方歯車製作所 |
佐田 徳一 |
昭和33年 |
藍綬褒章 |
多年公共の利益を増進した功績 |
富士コンベャー(株) |
吉村 敏雄 |
昭和33年 |
紫綬褒章 |
研究・発明に関する功績 |
正牟田鉄工(株) |
篠塚 孝四郎 |
昭和49年 |
藍綬褒章 |
多年公共の利益を増進した功績 |
協和鉄工所 |
村井 源久 |
昭和53年 |
黄綬褒章 |
鉄工業界の指導・育成と中小企業の指導・育成に関する功績 |
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従業員の受章
組合関係の企業の従業員のうち、次の方々が各種褒章を受けられました。
所 属 |
氏 名 |
受章の年 |
種 別 |
受章の理由 |
東亜工業(株) |
中西 繁 |
昭和45年 |
黄綬褒章 |
多年業務に精励した功績 |
渡辺造機(株) |
荒井 実 |
昭和45年 |
黄綬褒章 |
多年業務に精励した功績 |
(株)直方歯車製作所 |
畠山 正夫 |
昭和45年 |
黄綬褒章 |
多年業務に精励した功績 |
(株)小野原鉄工所 |
石本 藤吾 |
昭和45年 |
黄綬褒章 |
多年業務に精励した功績 |
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組合関係者の叙勲
組合関係者で、次の方々が叙勲を受けられました。
所 属 |
氏 名 |
叙勲の年 |
種 別 |
飯野鉄工所 |
飯野 憲一郎 |
昭和45年 |
勲五等瑞宝章 |
(有)弘鉄工所 |
弘 貞利 |
昭和48年 |
勲五等瑞宝章 |
(株)多賀機械製作所 |
上村 国雄 |
昭和50年 |
勲六等旭日章 |
九州鋳鉄管(株) |
山口 重夫 |
昭和52年 |
勲六等旭日章 |
富士コンベャー(株) |
吉村 敏雄 |
昭和52年 |
勲四等瑞宝章 |
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従業員の叙勲
組合関係の企業の従業員のうち、次の方が叙勲を受けられました。
所 属 |
氏 名 |
叙勲の年 |
種 別 |
九晃産業(株) |
江口 厚深 |
昭和46年 |
勲七等青色桐葉章 |
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優良工員の表彰
明治三十三年に発足した「直方鉄工同業組合」は、大正五年、「直方鉄工業組合」に改編されました。鉄工業組合は、その目的の一つに優良従業員、永年勤続者の表彰をあげていますから、その頃から優良工員の表彰が行なわれたものと思われます。実際に行なわれた表彰のうち、記録に残っているものを組合の総会議事録からひろってみますと、
(イ) 昭和二十六年、組合の手によって鉄工物産館が建設され、それを機に、直方市と共催の鉄工製品展示会が開かれ、その初日に、優良工員の表彰が行なわれました。
(ロ) 昭和二十八年、優良従業員の表彰が行なわれました。
(ハ) 昭和三十九年五月十五日、組合創立六十五周年記念行事が行なわれ、その一環として、組合に功労のあった三十名に感謝状が贈られ、同時に、永年勤続者四百十三名が表彰されました。そのほかに、直方市の広報紙「市報のおがた」は、次のような優良工員の表彰を伝えています。
(ニ) 「市報のおがた」四十八年五月号によれば、昭和四十八年四月二日、直方鉄工協同組合の講堂で、永年勤続者の表彰式が行なわれ、百二十五名が表彰されました。
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吉柳義一氏 |
(ホ) また「市報のおがた」五十二年十月号によりますと、「心身障害者雇用促進月間中の九月六日、福岡市西区百道の福岡県立勤労青少年文化センターで、右腕切断という体のハンディを乗り越え、優良心身障害者として見事労働大臣表彰を受けられた人がいます。
この人は、市内感田に在住の吉柳義一さん(六十八歳)で、現在直方工業団地の石橋製作所に勤務されています。
吉柳さんは大正十一年、市内の鉄工所に就職、昭和九年九月、職場で機械のベルトに巻き込まれて右腕切断という不慮の事故に遭われました。当時二十五歳で新婚三カ月目のことだそうです。
その後、会社は倒産、別の会社に就職、またも倒産、就職、給料遅配など苦しい経験をされながら、昭和四十一年八月石橋製作所に就職されました。……工場内ではクレーンや船舶の減速機が作られ、吉柳さんは平削り盤を使って仕上げの仕事をされています。吉柳さんの手がけた製品は海外にも輸出されています」と、いうことです。
また、「当日心身障害者雇用優良事業所として、植木の福岡トスカ工業株式会社が県知事表彰を受け」たそうです。
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旧組合事務所 |
(ヘ) さらに、組合総会議事録によりますと、昭和三十九年五月十五日に、組合創立六十五周年記年式典が行なわれ、組合に功労のあった三十名の方々に感謝状、永年勤続者四百十三名に表彰状が贈られました。なお、永年勤続者の表彰は、創立六十五周年を記念し、今後毎年行なわれることになりました。
補 遺 |
本書の記述は、原則として当用漢字に統一していますが、原文引用などの場合は、旧漢字、旧カナの使用もあります。明らかに誤字や間違っていると思われる地名、年号などは「ママ」とルビを送っています。
特に多く出てくる「炭鉱」の同意語、「炭砿」「炭坑」の使用については、「炭坑」は小ヤマや、坑口をさし、大手でも一坑、二坑などの坑口単位は「坑」を使用しました。「砿」は貝島炭砿など個有名詞に限り使用しています。
「鉄工場」と「鉄工所」は、明治時代は「鉄工場」と呼称されていましたので「鉄工所」と使い分けました。
「製罐」と「製缶」も旧漢字で「罐」、略字で「缶」と使い分けましたが新旧同時に使う統計資料は「罐」を使用しました。
しかし以上は、あくまで原則的なスタイルブックで、記名執筆者や原文引用のさいは、執筆者の使用文字を尊重した場合もあります。
送りガナについても、行なう、生まれるなどは新カナによっていますが、原文引用などの祭は旧カナによる場合もあります。
なにしろ八十年に及ぶ歴史を取り扱ったので、原文に忠実になれば文語体、解説の現代文は口語体と文章に混乱を生じ、読みづらい点もあるかと思いますが、当用漢字以外はなるべくルビを送り、読みやすく努力したつもりです。
題字は、田中六助通産大臣に依頼しましたところ「鐵工」に鐵を使用されました。八幡製鐵所は個有名詞で、鉄工、製鉄などの当用漢字と使用が分かれています。「鐵」の字が題字や個有名詞に使われている例です。その他、カナでもダライ、タライ(旋盤)など原文引用につれて使用が乱れていますが、間違いでないのはそのまま使用しています。
また、鋳物関係のカットについては、川口鋳物工業協同組合刊の「組合六十年の歩み」を参考にさせていただきました。
なお歴代正副理事長等の古い名前が落ちていたらお許し下さい。次回の出版のおり補充いたしたいと思います。 |
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