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直方鉄工協同組合80年史より〔発行:1981年(昭和56年)3月〕
1.好況の波
明治二十四年には直方〜若松間に鉄道が開通しました。
明治二十七年、日清戦争。明治三十七年、日露戦争。この二つの戦争によって、石炭の需要は飛躍的に増加し、それにともなって、図Tにみられるように、筑豊炭田の出炭量も明治二十五年の一〇〇万トンから三十八年の六〇〇万トンヘと増大しました。
炭価も、図Uに見るように、明治二十五年のトン当り二円五十八銭から、三十八年の六円九十六銭と跳ねあがりました。
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この盛況を「筑豊石炭鉱業会五十年史」は、「石炭の需要一時に増加して斯業始って以来の好況を呈し、殊に戦後二十九年より三十年、三十一、二年頃にかけては、炭況大に振い斯業の隆盛前古に比なく筑豊二州の炭業者は多く此の時期に大成」したと書いています。
高野江基太郎著「筑豊炭礦誌」
当時、「筑豊には五円(現在の一万円位の価値がある)以下の金はない」という文句が流行った程でした。明治三十七年には炭鉱成金にあやかって、「成金饅頭」がはじめて売り出されました。
石炭産業の好況は直接的に鉄工界に作用しました。
炭鉱機器を製造する鋳物工場や製鑵工場が有卦に入り、ポンプや捲揚機、煙突や鉄管の需要が相つぎ、「三十一年代には工場数は四十以上、工員も数千人に達し、遠く大阪あたりから技術工を雇い入れた(直方市史・石炭鉱業篇)」そうです。
三十年初頭の直方の鉄工界の盛況について、高野江基太郎の「筑豊炭礦誌(明治三十一年刊)」は、
「直方の戸数は日に一戸を以て増加し、十年以前の山河蓼莫
(りょうばく)
の一寒村、忽ちにして絃歌湧起
(げんかゆうき)
の都会となり、特に鉄工所の設立日を追ふて増加し、煤煙全市を掩ふて、鉄槌の響絶へざるが如し」と、述べています。
鉄工場主の懐具合も推して知るべしです。
2.不況の波
前図T・Uで分かるように、明治後半の全体的な傾向としては、二つの戦争をバネにして、出炭量・炭価ともに上昇の一路を辿った石炭界も、子細にみると、その間、何度かの不況の波に見舞われています。そして、その度に鉄工界もまた不況にあえぎました。
まず、明治二十一年から二十六年にかけて石炭の供給過剰による炭価の暴落が起こっています。
これは、二十七年から始まる日清戦争によって回復し、好況に転じましたが、戦後の三十一年頃から再び不況の波がおとずれました。
先出の「直方市史・石炭鉱業篇」によれば、
「二十七、八年の日清戦争による炭界の好況も、三十一年後半からかげりはじめ、三十二年には一転して不況に見舞われ、筑豊五郡下二百三十坑のうち九十四坑が休坑するという状況の中で、直方の鉄工界もまた休止する工場が続出した。不況時でなくても、二十七年のごときは梅雨期に雨量が少なかったために、坑内排水用ポンプの売行きがガタ減りして、大きな打撃を受けるなど、炭業界の動向によって商況は常に左右されながら、挫折と再建を繰り返した」のでした。
3.直方鉄工同業組合の誕生
明治三十三年、直方に、直方鉄工同業組合が誕生しました。(明治三十三年については異説もありますので、後でふれることにしますが、一応、ここでは三十三年としておきます。)
直方鉄工同業組合を生み出す直接的な要因としては二つをあげることができます。
一つは、不況対策の問題でした。
日清戦争後の不況が明治三十一年頃から炭界を襲いました。
石炭界が不況になれば、仕事が減少すると同時に、売掛け金の回収が困難になってくるので、鉄工界は二重の打撃を受けることになります。売掛け金回収問題は、直方の鉄工業者にとって緊急の課題でした。当然のなりゆきとして、"不況時を乗切るため、団結して事に当たろう”という意見が出はじめました。同業組合結成の機が動きはじめたのです。
いま一つは「重要物産同業組合法」の制定でした。
明治三十年、「重要輸出品同業組合法」ができて、重要輸出品の産業の保護が打ち出されましたが、同三十三年には、それが拡大され、単に輸出品だけでなく、国内の需要品についても、その業界の利益を増進するために同業組合を設置することが法的に認められることになりました。これを「重要物産同業組合法」と呼びますが、この法の施行が、直方鉄工同業組合の結成を促す一要因となったのでした。
このような経緯の中で、直方の鉄工業者は、幾度かの懇親会を持ち、話し合いを続け、明治三十三年に、十八工場が集まって、はじめて、「直方鉄工同業組合」を結成したのでした。
次に、直方鉄工同業組合の規約を紹介しましょう(この規約は明治三十四年十月十一日公証の手続きがとられたものの謄本によりました)。
福岡県直方鉄工同業組合規約
第壱千九百九号
鉄工同業組合証書正式謄本 福岡県筑前国鞍手郡直方町大字直方五百四拾六番地
平民 鉄工業 福嶋 岩次郎 四拾七年
仝県仝国仝郡仝町大字仝上六百参拾番地
士族 鉄工業 西 守吉 四拾七年
仝県仝国仝郡仝町大字仝上弐百七拾弐番地
平民 鉄工業
右西守吉代理人 手嶋 兵三 弐拾八年
仝県仝国仝郡仝町大字仝上六百四拾七番地
平民 鉄工業 村上 福太郎 参拾参年
仝県仝国仝郡仝町大字仝上八百五拾九番地
平民 鉄工業 中村 清七 五拾弐年
仝県仝国仝郡仝町大字山部千三百拾六番地
平民 鉄工業 飯野 瀧造 参拾参年
仝県仝国仝郡仝町大字直方五百七拾弐番地
平民 鉄工業 竹田 音四郎 四拾四年
仝県仝国仝郡仝町大字仝上六百五拾弐番地
平民 鉄工業 中村 喜市 五拾壱年
仝県仝国仝郡仝町大字山部百八拾四番地
平民 鉄工業 宮原 廣吉 参拾九年
仝県仝国仝郡仝町大字仝上弐百弐番地
平民 鉄工業 増原 十郎 弐拾五年
仝県仝国仝郡仝町大字直方千五拾番地
平民 鉄工業 石橋 増吉 弐拾八年
仝県仝国仝郡仝町大字仝上千五拾番地
平民 鉄工業 福田 鶴吉 弐拾八年
仝県仝国仝郡仝町大字仝上五百七拾五番地
平民 鉄工業 松本 八太郎 四拾五年
仝県仝国仝郡仝町大字仝上四百六拾参番地
平民 鉄工業 藤田 鉄蔵 四拾七年
仝県仝国仝郡仝町大字仝上千参百六拾五番地
平民 鉄工業 稲松 貞五郎 四拾六年
仝県仝国仝郡仝町大字仝上弐百参拾六番地
士族 鉄工業 十時 武雄 参拾八年
仝県仝国仝郡仝町大字仝上九拾番地
士族 鉄工業 南部 正雄 参拾弐年
仝県豊前国田川郡弓削田村千五拾壱番地
平民 鉄工業 武藤 好太郎 参拾参年
大分県豊後国西国東郡玉津町大字玉津六拾九番地
平民 雑業
右宮原廣吉・増原十郎・石橋増吉・福田鶴吉・
松本八太郎・藤田鉄蔵・稲松貞五郎・十時武雄
南部正雄・武藤好太郎ノ代理人
角田泰作 弐拾四年
福岡県筑前国鞍手郡直方町大字直方
西 倉一郎 参拾六年
仝県仝国仝郡仝町大字仝上千百八番地
平民 雑業
立会人 中嶋 伊勢吉 弐拾四年拾ケ月 右福嶋岩次郎 西守吉ノ代理人手嶋兵三、中村清七・村上福太郎・飯野瀧造・竹田音四郎・中村喜市並ニ宮原廣吉・増原十郎・石橋増吉・福田鶴吉・松本八太郎・藤田鉄蔵・稲松貞五郎・十時武雄・南部正雄・武藤好太郎代理人角田泰作及ビ西倉一郎ハ、明治参拾四年拾月拾壱日、公証人山田孫九郎役場ニ於テ中嶋伊勢吉ノ立会ヲ以テ左ノ契約ヲ締結ス
一、手嶋兵三ハ西守吉ノ委任状ヲ所持シタリ
一、角田泰作ハ宮原廣吉・増原十郎・石橋増吉・福田鶴吉・松本八太郎・藤田鉄蔵・稲松貞五郎・十時武雄・南部正雄・武藤好太郎ノ委任状ヲ各所持シタリ 第壱条 本組合ハ直方鉄工同業組合ト称ス 事務所ヲ直方町ニ設ク 将来各工場取引スル物品ニ対シテハ総テ現金取引ヲ励行シ毎月五日前月分ノ収支決算ヲ為スベキモノトス
但シ現金ニ更
(か)
フルニ約束手形又ハ其他ノ方法ヲ以テ債権ヲ保持スベシ 第弐条 鉱業者ガ支払ヲ停止シタルトキハ本組合事務所ニ其由ヲ書面ニテ差出スベシ 其場合ハ組合事務所員ヲ派出シ事実ヲ取調べ評議員会ノ評決ヲ経テ各工場へ支払停止或ハ一時取引中止ヲ通牒スベシ
明治34年に公証の手続きがとられた
直方鉄工同業組合の規約
第参条 鉱業者ガ振出シタル手形ノ支払ヲ停止シタル時ハ届書ト同時ニ各工場ニ其旨ヲ通牒スベシ 第四条 取引中止ノ通牒ヲ受ケタル同業者ハ其鉱業者ト取引ヲ為ス事ヲ得ズ 之ニ背キタルモノハ違約金トシテ金五拾円ヲ本会ニ賠償セシムルモノトス 尚ホ取引双方ニ対スル違背ノ概要ヲ新聞紙ニ広告スベシ 但シ再犯ヨリハ総テ前犯違約金ノ倍額ヲ賠償セシムベシ 尤
(もっと)
モ違背者ハ此賠償金ニ対シ権利ナキモノトス 第五条 同業者ハ左ノ割合ヲ以テ積立金ヲ為シ毎月拾日ニ本組合事務所ニ払込ムベシ 但シ各自毎月払込ムベキ金額ハ頭書ノ金員ヲ五ケ月ニ割当テタルモノヲ以テス
一金百弐拾五円也 福嶋 岩次郎
一金百弐拾五円也 西 守吉
一金百弐拾五円也 中村 清七
一金百弐拾五円也 村上 福太郎
一金 七拾五円也 飯野 瀧造
一金 七拾五円也 竹田 音四郎
一金 五拾円也 中村 喜市
一金 五拾円也 宮原 廣吉
一金 弐拾五円也 稲松 貞五郎
一金 弐拾五円也 増原 十郎
一金 弐拾五円也 石橋 増吉
一金 弐拾五円也 松本 八太郎
一金 弐拾五円也 福田 鶴吉
一金 弐拾五円也 藤田 鉄蔵
一金 弐拾五円也 十時 武雄
一金 弐拾五円也 南部 正雄
一金 弐拾五円也 西 倉一郎
一金 五拾円也 武藤 好太郎
以上
第六条 前条積立金ハ評議員ニ於
(おい)
テ保管ノ責ニ任ズベシ 第七条 本組合ノ事務ヲ處弁ニ及ビ積立金利殖ヲ図ル為メ評議員六名ヲ撰
(ママ)
定ス 其当撰者ハ左ノ如シ
福嶋岩次郎 中村清七 西 守吉 村上福太郎
飯野瀧造 竹田音四郎 第八条 評議員ノ任期ハ満壱ケ年トシ満期ノ節改撰スベシ 但シ再撰スルヲ得ル 第九条 前条積立金ハ毎年拾月決算シ組合員ニ報告シ此積立金及利殖金ハ満参ケ年目ニ各自ニ返還スベシ 第拾条 組合員ニシテ鉄工業ヲ廃シタルトキハ其廃業後参ケ月ヲ経ザレバ積立金ノ返還ヲ要スル事ヲ得ズ 本条ノ場合ニ於テハ利殖金ハ組合ノ所得トシテ返還セザルモノトス 第拾壱条 本組合ハ毎月拾日集会ノ定日トシ指定ノ時間ニ出席スベシ 若シ無届不願シタルトキハ過怠トシテ金壱円ヲ本会ニ賠償スベシ
但シ代理人ヲ出席セシムル事アル可シ 第拾弐条 評議員ハ互撰シテ本会ノ代表者ヲ撰定ス可キモノトス 其撰定シタル代表者ハ左ノ如シ
筑前国鞍手郡直方町大字直方
福嶋 岩次郎 第拾参条 前条ニ示シタル代表者ニシテ本契約ニ背キタルトキ又ハ其他ノ事故ニ因リ代表スルコト能ハザルトキハ評議員ノ互撰ニシテ一時代表者ヲ撰定スルコトアルベシ 第拾四条 第参者ニシテ本組合ニ加入セントスルトキハ代表者ハ本組合ノ名義ニテ之レガ契約ヲ締結スルコトヲ得ベシ
尚ホ代表者ハ本組合ヲ代表シ総テノ訴訟ヲ為スコトヲ得べシ 第拾五条 本契約ニ背キタル為メ違約金又ハ過怠金ヲ賠償スベキ債務ハ互ニ強制執行ヲ受ク可キモノトス 第拾六条 従来各自需要ノ原料仕入又ハ総テ現金取引ナルニ拘ハラズ其得意先タル鉱業者ハ之レニ反スルノミナラズ支払猶予或ハ停止シ為メニ同業者ノ悲惨ニ陥ルモノ枚挙ニ遑
(いとま)
アラズ 是其自ラ為セシ膺
(かど)
ナリト雖
(いえど)
モ畢意
(ひつきょう)
融和一致ナキノ因ナリト謂
(い)
フベシ 依テ本組合ヲ組織シタルモノナレバ組合員ハ益
(ますます)
奮テ斯業ノ彼岸ニ達センコトヲ図ルベシ
右関係人ハ読聞カサセタル處相違ナキコトヲ認メ左ノ署名捺印ス
福嶋岩次郎 手嶋兵三 中村清七 村上福太郎
飯野瀧造 竹田音四郎 中村喜市 角田泰作
西 倉一郎 中嶋伊勢吉
右契約ヲ為シタルコトヲ確証スルタメニ左ニ署名捺印スルモノナリ
明治参拾四年拾月拾壱日 公証人 山田孫九郎役場ニ於テ
飯塚区裁判所管内
筑前国鞍手郡直方町大字直方千五拾五番地住居
公証人 山田孫九郎
此正式謄本ハ原本ト同時ニ関係人一同ノ面前ニ於テ直方町鉄工同業組合代表者福嶋岩次郎ノ為メニ之ヲ作リ其原本卜相違ナキコトヲ確証ス 依テ西守吉代理人手嶋兵三及ビ中村清七・村上福太郎・飯野瀧造・竹田音四郎・中村喜市並ニ宮原廣吉・増原十郎・石橋増吉・福田鶴吉・松本八太郎・藤田鉄蔵・稲松貞五郎・十時武雄・南部正雄・武藤好太郎ノ代理人角田泰作及ビ西倉一郎ト共ニ左ニ署名捺印スルモノナリ
明治参拾四年拾月拾壱日公証人 山田孫九郎役場ニ於テ
飯塚区裁判所管内
筑前国鞍手郡直方町大字直方千五拾五番地住居
公証人 山田孫九郎
手嶋兵三
中村清七
村上福太郎
飯野瀧造
竹田音四郎
中村喜市
角田泰作
西 倉一郎
右之通契約候条各自ハ御遵守相成度候也
福岡県直方鉄工同業組合事務所
明治参拾四年拾月拾壱日
この規約の第十六条には、組合設立の趣旨が明確に書かれています。すなわち、自分達が原料を仕入れるときはすべて現金取引をさせられているのに、製品を炭坑に納入すると鉱業家は現金で支払わないだけでなく、約束の日がきても、延期したり、支払いを停止したりするため、鉄工同業者の多くが困っており、破産するものも多く出ている。これは、一人一人のやり方が悪いというよりも、むしろ、同業者が一致して坑主の不法に当たらないからである。今後は、一致団結して鉱業家に当たるために組合を結成するのだという意味のことが書かれています。
また、不払い炭坑主に対する行動として、
「鉱業者ガ支払ヲ停止シタルトキハ本組合事務所ニ其由ヲ書面ニテ差出スベシ。其場合ハ組合事務所員ヲ派出シ事実ヲ取調べ、評議員会ノ評決ヲ経テ各工場へ支払停止或ハ一時取引中止ヲ通牒スベシ(第二条)」
「鉱業者ガ振出シタル手形ノ支払ヲ停止シタル時ハ届書ト同時ニ各工場ニ其旨ヲ通牒スベシ(第三条)」
などを決めています。また、この規約に違反した者は罰金五十円を取るという制裁条項(第四条)もあります。
この組合は、炭界不況を背景として自己防衛的な発想をもって、生まれるべくして生まれた組合と言うことができると思います。
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