直方鉄工協同組合
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直方鉄工協同組合80年史より〔発行:1981年(昭和56年)3月〕
昭和・戦後篇 第一節/復興の足どり
5.福岡県直方鉱業試験場の開設
 戦後の日本経済の復興の鍵は石炭の増産にあるという見地から、昭和二十年十一月に「炭鉱労務緊急充足実施要綱」が決定され、炭鉱労働者確保の方策が取られました。一般には不足していた米、煙草、酒などの炭鉱への特配なども行なわれました。
 昭和二十一年十二月には、鉄、石炭、肥料、電力などの重要産業に重点的に資材、資金を投入する、いわゆる傾斜生産方式が閣議決定され、これによって、坑内設備資金、労務者住宅建設資金などが炭鉱に流れ込み、筑豊炭界は活気をとりもどし、増産に必要な機械の注文が殺到し、直方鉄工界も息を吹き返しました。
 しかし、この好況も永くは続かず、二十三年には占領軍の指令の形で経済九原則が出され、超健全財政を目差して、融資の打切り、価格差補給金の廃止がなされ、貯炭は増大し、直方鉄工界も打撃を受けました。
 炭鉱は生産性の向上、能率の増大、合理化を迫られました。採炭の隘路となる坑内湧水の処理のための排水ポンプの改善、性能の向上が再検討されることになりました。
 当時、九州における各炭坑が所有していたポンプは約九千台で、これらのポンプの性能の優劣が、生産量、炭価、ひいては経営に大きな影響を与えていたのです。
 福岡県当局の関係者の間では、鉱業をもって立つ県として、ポンプ製造技術の向上による高性能ポンプの生産に寄与するため、ポンプ関係の指導機関の必要性が検討されはじめました。
 県内における鉱山排水用ポンプの製造、修理業者は約七十社でしたが、そのうちの四十数社は直方にありました。ポンプの改良は直方鉄工界の死命を制するテーマでした。
福岡県直方鉱業試験所
福岡県直方鉱業試験所
 ポンプ製造の技術指導、完成品の性能検査、などのためのポンプ試験所の設立を望む声が直方鉄工界にも生まれてきました。
 直方砿機工業協同組合では、昭和二十四年からポンプ試験所の直方設置の運動をはじめ、県への陳情を行ないました。
 二十五年度予算編成に際し、県経済部工務課は、中小企業対策の一環として、直方市に県立の金属工業ポンプ試験所の設立を計画しました。直方砿機工業協同組合も、この計画に呼応し、昭和二十五年一月、臨時総会を開いて誘致を決議し、直方市当局、市議会、直方商工会議所の協力を得ながら県当局に陳情を続けました。しかし、この年は財源難という理由で設置は見送られました。
 昭和二十六年五月の通常総会では、ポンプ試験場設立専門委員会が設立され、委員長に南部憲正氏、副委員長に大田三郎氏が推され、更に強力な運動が展開されました。その結果、昭和二十七年度予算に計上される見通しがつきました。
 昭和二十七年の予算には七百七十万円の県立直方鉱業試験場設立費が計上されました。しかし、土地の購入については地元負担ということになり、直方砿機工業協同組合は資金を集め、市内知古永楽町の小倉鉄道株式会社所有の土地三百坪を百万円で買収し、県に無償で提供しました。
 直方鉱業試験所の工事は、昭和二十八年三月から始められ、昭和二十九年六月開所式が行なわれました。

直方鉱業試験場の内容
一、開所当時の建物及び設備
建物 本館(ポンプ試験室) 64 坪
化学室 6 坪
その他 16 坪
設備 ポンプ揚水量測定路及び貯水槽
電灯、動力設備
給排水設備
外柵
高電圧受電設備

二、業務内容
場長 庶務係 人事、予算、給与、庶務一般
生産指導に関する企画調査
科学技術資料の調査蒐集
機械係 鉱山用ポンプの試験、研究、試作ならびに技術指導
鉱山用機械器具の試験、研究ならびに技術指導
各種材料の試験研究
鉱山用電気機械器具の試験研究
化学係 各種鉱産物の化学的応用試験
各種鉱産物の依頼試験

三、研究項目
1、 鉱山機械標準化の研究
2、 タービンポンプ翼型の研究
3、 サイクル切替に伴う鉱山機械改造対策の研究
4、 中小企業の生産に適する高揚程タービンポンプの設計、試作、標準化の研究
5、 流量測定法の研究
6、 石炭の膨張粘結度低下に関する研究
7、 豆炭、シャモット製造に伴う公害防除施設の研究
8、 低品位炭の利用度向上に対する研究
9、 坑内水の被害対策研究

四、直方鉱業試験所平面図(開設当時)
直方鉱業試験所平面図(開設当時)
五、歴代場長
  就任年月日 場長氏名
初代 昭和28年9月 清原 邦武
二代 昭和34年9月 中村 善六
三代 昭和36年7月 岩崎 良助
四代 昭和36年12月 林田 義彦
五代 昭和39年9月 佐々木 正弘
六代 昭和44年6月 白石 哲夫
七代 昭和51年7月 伊藤 嘉三

鉱業試験場開設後の歩み
 昭和二十九年の開設当時は、百馬力以下のポンプ試験が主で、それ以上の馬力のポンプ試験は出来ませんでした。また、電気、機械、化学関係の業務も、設備の関係で一部に限られていました。
 一方、鉱工業技術の進歩はめざましいものがあり、筑豊の中小炭鉱および直方鉄工界はその対応に著しく遅れを取っていました。鉱業試験場の研究施設の充実と、新技術の開発、および技術の普及指導は急務となりました。
 昭和三十二年、設備近代化三カ年計画が立てられ、昭和三十三年三月には、五百馬力電動機の設置を見、大型ポンプの試験が可能となりました。また、同年六月には化学試験室(三十坪)が増設され、鉱産物の分析に限定されていた業務が、金属材料分析まで拡大されました。
 昭和二十九年から電気の周波数の変更(五十サイクルから六十サイクル)が始まり、炭坑のポンプの改造が相つぎ、直方鉄工界はその仕事に追われ、試験場での試験台数も、昭和三十年には千台を突破しました。また、試験を通ったポンプは信頼度が高く、直方鉄工界のポンプの名声は一段と高まりました。
 しかし、石炭から石油へのエネルギー革命は確実に進行していきました。昭和三十年には石炭合理化政策がスタート、昭和三十七年にはスクラップ・アンド・ビルド政策が打ち出され、直方地区の炭坑数は、昭和二十八年から三十年までの六十坑をピークに減少をはじめ、三十三年には四十三坑、三十八年には十七坑、昭和四十一年には十二坑と激減しました。
 石炭産業によって支えられていた直方鉄工界も、大きな変革を迫られ新たな市場への転換を余儀なくされました。
 試験ポンプ台数
年度 台数
30 1,025
32 1,243
33 1,060
35 575
40 375
45 193
50 65
 これに対応するため、昭和三十七年には、鉱業試験場内に、金属材料の機械的強度試験、インペラー等の動釣合試験の設備がなされ、技術面での指導体制が強化されました。
 石炭産業に関連したタービンポンプの需要の減少により、鉄工界は炭鉱依存から脱皮し、農業、水道、船舶に使用されるボリュートポンプの製造、修理の方向に向かいました。昭和四十年頃からは、化学工業、セメントエ業、石油工業、下水道などに使用される特殊ポンプ、建設工事に使用される特殊構造ポンプ(水中ポンプ、ブレドレスポンプ)の製造、修理の市場も開拓されだしました。
 しかし、石炭産業の全面的崩壊の影響はきびしく、次表にみられるように、試験場での試験台数は下降の一途をたどっていきました。

鉱業試験場の合併移転
 炭鉱関係のポンプの性能試験を主要な目的として昭和二十九年開所された直方鉱業試験場は、エネルギー革命による炭鉱の全面的な閉山によって、その任務の大半を失いました。
 福岡県は、北九州市上津役にある県立工業試験場と、直方の鉱業試験場とを統合し、新たに折尾の遠賀農芸高校跡地に、総合的な試験所を開設することを決定し、五十五年度中に十三億円で完成。これによって、直方鉱業試験場は閉鎖され、二十七年にわたる歴史に終止符をうちました。

6.福岡県立直方公共職業補導所の開設
 直方砿機工業協同組合は、人材確保の見地から、県営の職業補導所の直方設置について種々の運動を重ねてきました。このことについて、昭和二十七年二月の組合臨時総会において、南部理事長は挨拶の中で県営ポンプ試験場設置運動にふれるとともに、「県営職業補導所の設置についても、市と共にその実現につき猛運動を致して居ります」と述べています。
 運動の甲斐あって、昭和二十八年一月二十二日、直方市大字山部九二一番地に、県立直方公共職業補導所が開設されました。

県立直方公共職業補導所の歩み
 昭和二十八年一月開設された直方公共職業補導所は、幾多の改編を経て、現在の県立直方専修職業訓練校に続いていますが、その足どりを年表風にたどってみますと、
年・月・日 事  項
28・1・22 福岡県立直方公共職業補導所開設される
機械科、鋳造科、鈑金科を設ける
29・4・1
鈑金科を溶接科と改称
30・8・1
定時制溶接科を増設
31・12・1
石炭合理化法の実施に伴い、簡易溶接科を増設
32・12・10
駐留軍労務者離職対策として芦屋分室定時制溶接科を増設
33・7・1 福岡県立直方職業訓練所と改称  (職業訓練法施行により)
34・11・9
石炭鉱業離職者緊急対策事業の実施により鋳造科を増設
35・1・30
同対策事業実施により製罐科、定時制製罐科を増設
35・6・11
駐留軍労務者離職対策として芦屋分室に溶接科、ブロック建築科を増設
35・6・30
定時制旋盤科、仕上科、鋳造科を廃止
35・7・21
福岡県規則第七六号により庶務課、訓練科を設置
35・11・16
簡易溶接科を廃止、特別訓練溶接科を改称
37・4・1
芦屋分室を廃止
38・4・1
定時制製罐科を廃止
39・4・1
石炭鉱業離職者緊急対策事業として金属プレス科を増設
41・4・1
仕上(機械第二)科を増設
42・3・1
本館を改築
42・11・26
特別訓練溶接科を廃止
44・6・12
筑豊自動車専門学校と委託契約による自動車運転員委託訓練を開始
44・10・1 福岡県立直方専修職業訓練校と改称  (県条例、職業訓練法の改正により)
45・4・1
機械科を機械第一科、仕上科を機械第二科と改称
53・3・31
定時制溶接科を休止
54・4・1
製罐科を構造物鉄工科と改称、機械第一科、第二科を統合して機械科とする
54・5・8
委託訓練和裁科を開始

福岡県立直方専修職業訓練校の現在
 福岡県立直方専修職業訓練校の現在の事業の内容は次のとおりです。
(1) 事  業
職業訓練法にもとづき次の事業をなす。
養成訓練
能力再開発訓練
成人訓練
委託訓練
福岡県立直方専修職業訓練校
県立直方専修職業訓練校
(2) 目  的
養成訓練は中、高校卒並びに之と同年齢程度の者に対し、基礎的な技能を習得させることによって、技能労働者としての能力を養成するために行なう。
能力再開発訓練は、労働者に対し、従前の職業を考慮して、新たな職業に必要な技能を習得させることによって、技能労働者としての能力を開発するために行なう。
 
成人訓練は、職場在職者に対し、初級から中堅技能者のための技能の追加、技能の補習、向上訓練を行なう。
委託訓練は、主として同和対策事業の一環として、当校と委託訓練契約を締結する筑豊、西鉄、田川各自動車専門学校で同和地域出身者重点に行なう。
(3) 応 募 資 格
養成訓練―義務教育修了程度以上の学力を有し、心身ともに健全でその職に適した者。
能力再開発訓練−離職者で義務教育修了程度以上の学力を有し、心身共に健全で当該職業訓練を受けるに適した者。
(4) 修了者の就職のあっせん
職業安定法により公共職業安定所においてあっせんするが、当校も積極的に協力して行なう。
(5) 訓練科目及び定員並びに訓練期間
訓練科目 定 員 訓練期間 入校時期 備考
53年度 54年度
機械第一科 30 一ヵ年 4月 54年度より統合
機械第二科 30 一ヵ年 4月
機械科 50 一ヵ年 4月  
溶接科 30 30 一ヵ年 4月  
製罐科
構造物鉄工科
30 30 一ヵ年 4月 54年度より科名変更
鋳造科 30 30 一ヵ年 4月  
金属プレス科 30
(60)
30
(60)
六ヵ月 4月
10月
 
180
(210)
170
(200)
     
自動車委託訓練 174
(50)
150
(50)
普1A50日
普1B56日
普1C60日
普1D65日
普2 30日
大1A20日
  ( )は八幡総訓分
和裁科 30 一ヵ年 5月  
174
(50)
180
(50)
     

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