直方鉄工協同組合
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直方鉄工協同組合80年史より〔発行:1981年(昭和56年)3月〕
昭和・戦後篇 第二節/エネルギー革命
1.石炭合理化政策はじまる
 昭和二十五年に始まった朝鮮戦争は、敗戦によって打撃を受けた日本経済に立直りの活力を与え、筑豊の石炭産業と直方鉄工界にも好況をもたらしましたが、二十八年の休戦によって、炭界は再び不況を迎えることになりました。特需がなくなり、金融が引締められ、二十八年、二十九年とデフレーションが続き、石炭は過剰となり、貯炭が七〇〇万トンに達し、炭鉱の休廃坑が相次ぎました。
 三十年、鳩山内閣は石炭合理化政策をスタートさせました。
 「直方鉄工業界は、またしても炭界の深刻な不況がもとで、致命的な打撃をうけた。
 事業不振のため休廃、縮小した炭鉱よりの納品売掛代金の回収が絶望に近くなったのである。炭鉱側より振出されていた三十日乃至六十日期日の約束手形は、百二十日乃至百八十日と支払いが長期化延伸され、しかも期日に至って指定銀行に行ってみると、預金不足や預金残無しの理由で不渡りとなるなどで、業者は現金化の見込みの立たぬ紙切れを抱いて困窮した」(直方鉄工65年史=中西=草稿)という状況が出現しました。
 直方鉄工業者の炭鉱に対する売掛金は、大手を別として、中小炭坑だけで一億円をはるかに越えたといわれます。
 「この窮地に即して組合は石炭合理化法反対対策委員会をつくり、大田三郎、石橋清一、高原彦三郎、伊藤戒三郎、田中信、西尾善恵、上村国雄、篠塚仁の諸氏を委員に選び、地元国会議員の斡旋協力を得て、時の通産大臣石橋湛山氏を初め政府要路に対して、『未払い資材代金の回収を、労働賃金と同様に優先払いとする法的措置を講じてもらいたい』と陳情した。
 この運動は約半年間に亘って続けられたが所期の目的を達成するに至」(直方鉄工65年史=中西=草稿)りませんでした。
 しかし、三十一年の夏に起った異常渇水は、一時的に直方鉄工界に活力をもたらしました。すなわち、「水力発電所の電圧が下り、発電力が低下した。之を補う火力発電所の用炭量が急増したばかりでなく、合せて一般国内産業界も活気づいて、石炭の需要量が激増した。石炭業界も直方鉄工業界も、朝鮮動乱以来実に五年振りに好況を取り戻し、苦慮した炭鉱売掛代金も、あらかた回収され、一息入れることができた」(直方鉄工65年史=中西=草稿)のでした。
 これは、昭和三十一年の神武景気とよばれるものに対応する現象でした。
 しかし、それも束の間で、三十二年にはなべ底景気におちこみ、また三十四年には岩戸景気に上昇するなど、日本経済は激しい変動の波にもまれましたが、全体としては、政府が取りはじめた高度成長政策に乗って上昇を続けました。

2.炭鉱の灯消ゆ
炭坑閉山のあと
炭坑閉山のあと
 ただひとり石炭産業だけは厳しい状況のなかにおかれました。石炭から石油への波のうねりは大きく、石炭合理化政策は次第に強化され、三十七年には、スクラップ・アンド・ビルド(不良坑をつぶし、優良坑を再建させる)方針が取られました。
 三十八年には三菱新入坑が閉山、それに前後して休閉山が相つぎ、二十五年に二六五坑あった筑豊の炭坑は、六十七坑におちこみました。
 三十九年には第二次石炭答申が出され、三井田川坑が閉山しました。
 四十一年には第三次石炭答申が出され、筑豊の炭坑数は五十五坑となりました。
閉山した炭坑の社宅
閉山した炭坑の社宅
 四十三年には第四次石炭答申が出され、四十五年には、なだれ閉山がおこり、四十八年には筑豊炭田に坑内掘りとしてただ一つ残っていた貝島炭砿の火が消え、五十一年、貝島炭砿の露天掘りが中止されるに及んで、筑豊における石炭の時代が完全に終わりました。
 次の資料は「直方市勢要覧53年版」に掲載された炭鉱数、従業者数、年間出炭量の変化を示す統計で、なだれ現象を起しながら消滅していった筑豊の炭鉱の盛衰を物語っています。

炭坑のうつりかわり (各年12月31日現在)
  直方市内
炭鉱数 従業者数 年間出炭量(トン)
昭和25年 14 3,017 261,432
26年 18 2,457 266,592
27年 15 2,251 235,333
28年 17 2,365 172,522
29年 16 1,494 185,956
30年 14 1,650 237,160
31年 16 1,073 140,030
32年 11 1,076 163,739
33年 11 1,137 157,302
34年 10 833 122,330
35年 8 837 96,553
36年 5 794 182,426
37年 6 805 108,555
38年 2 60 19,576
39年 3 77 46,243
40年 3 177 40,505
41年 2 68 2,927
42年
43年
44年
45年
46年
47年
48年
49年
50年
51年
  直方市・鞍手郡内
炭鉱数 従業者数 年間出炭量(トン)
昭和25年 86 37,865 3,967,926
26年 88 40,392 4,592,312
27年 81 41,286 4,286,274
28年 81 35,581 4,325,007
29年 70 30,696 4,460,293
30年 73 31,057 4,410,092
31年 74 31,197 4,862,036
32年 65 31,147 5,327,122
33年 56 29,108 5,007,561
34年 50 26,966 4,901,614
35年 50 24,294 4,953,595
36年 46 19,160 4,395,076
37年 25 13,550 4,598,334
38年 20 9,115 4,088,199
39年 18 7,806 3,677,949
40年 14 5,704 3,136,648
41年 10 4,696 2,888,384
42年 9 4,062 3,364,784
43年 8 2,949 3,208,354
44年 6 1,535 1,200,047
45年 5 1,385 1,087,510
46年 4 1,318 859,942
47年 3 1,343 842,628
48年 3 745 781,229
49年 2 245 301,000
50年 2 224 155,000
51年

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