直方鉄工協同組合
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直方鉄工協同組合80年史より〔発行:1981年(昭和56年)3月〕
昭和・戦後篇 第二節/エネルギー革命
4.曲がりがどの直方鉄工界
西日本新聞の特集記事
西日本新聞の特集記事
 昭和四十年九月、西日本新聞は、「直方市は"筑豊の鉄都"と呼ばれる。直方鉄工界は、明治の中期ごろから、筑豊炭田という大きな地盤のうえで、石炭産業に必要な機械器具づくりの下請企業として大正、昭和を生きてきた。しかし、ここ数年来のエネルギー革命で、石炭産業は斜陽化し、直方鉄工界は、体質改善を迫られた。すでに一部ではそれを終わりつつある業者もあるが、大部分は昨今の不況も手伝って身動きができないまま。隆盛を誇った直方鉄工界はいま、かつてない"苦悩の時代"を迎えている。そこで、直方鉄工界の現状をさぐり、こんごのあり方を考えてみることにした」
 として、「曲がりかどの直方鉄工界」と題する特集を組み、十三回に亘って直方鉄工界の現状分析と、直面する問題点の指摘を行ないました。
 このような指摘は、この特集の前後においても、いろいろな方面から散発的には行なわれましたが、この特集のような深さでなされたものは少なく、したがって当時において、大きな役割を演じたと思われますので、重要な部分について再録してみましょう。

G待たれる体質改善
(一部は大きく飛躍・足を引く自己所有意識)
 直方鉄工界は、いま確かに体質改善を急いでいる。進取の気象に富んだ青年経営者たちの集まりである直方鉄工青年会をはじめ、その母体である直方鉄工協同組合を中心に、経営近代化への新しい意欲がめばえ、すでに一部では大きく飛躍しつつある業者もある。しかし、直方鉄工界全般をみた場合、まだまだ問題点が多いようだ。
 それはまず、これまでみてきたように個人企業が全体の七割以上という前時代的な経営形態である。このような個人企業の割り合いは北九州工業地帯における下請企業に比較してもその率は非常に高い。このことは、経営者の大部分の中に"企業の自己所有意識"が強いことを示している。終戦直前に旧軍部の手で、小企業が合同させられたが、それが終戦とともに、すぐにもとどおりに分かれてしまったことがこれを物語る。「戦時中の企業合同のさいにも、ただ"親方さん"たちが集まっただけの格好で"職人"にたいする指揮系統も自分本位でバラバラだった」と現直方鉄工協同組合参事(事務局長)日向勇さんは二十年前のことを語っている。
 このどはずれた"自己所有意識"が、現在のような苦境に立った場合にも「自分のところさえよければ」という態度となり、受注競争という"足の引っ張り合い"を演ずる。さらに一歩進んで"共同受注"を計画する段階になっても、よほど気の合った経営者同士でないかぎり「だれかがおゼン立てをするだろう。自分が中心になって失敗したら、恨まれるだけバカらしい」という非協調性となり、不況時の企業危機に自分を苦しめ、好況時に企業発展のチャンスを逃がしていることが多いようだ。これが遠く明治時代から、日本の企業の多くが、資本の集中と経営近代化を行なってきたなかで、現在の直方鉄工界の多くが"資本家内工業"的小規模経営にとどまっている一つの原因ではなかろうか。
 この強い"自己所有意識"による弊害は、とくに生産性の面に現われている。前年の昭和三十九年中の直方鉄工界の総生産額は約四十三億二千万円(直方市商工課調べ)で、これまでの最高を記録した。しかし、この総生産額の半分以上は"会杜組織"などによる大工場があげたもの。個人企業の多い小規模工場の生産性はズバ抜けて低い。鉄工業とひと口にいっても、いろんな業種があり、特定の業種によっては、少人数でもかなり高い生産性を示しているが、各業種を総合した生産額の内わけをみると、規模別従業員一人当たりの年間の平均生産額では、徒業員九人以下の小工場は、同百人以上の大工場の従業員の二分の一以下。この生産性の低さは、利益率も小さいことを示しており、景気変動の波を真っ先に受け、経営面でも苦しい思いをしている。
 この結果、賃金などの労働条件、労働環境なども悪化して、技術のすぐれた従業員に逃げられる傾向が強いため"製品"の質の向上も望めず、いつまでたっても苦しいという悪循環を繰り返すことになる。
 いっぽう、かなりの生産性を持った中堅以上の企業にも、問題がある。たとえば、設備投資の点である。企業合理化、生産性向上の基礎となるのは設備であり、近代的な設備投資を行なうのは当然である。ところが、直方の場合は、例の"企業の自己所有意識"からワンマン経営者による非科学的な"カン"によって、あるいは「あそこがあの機械を入れたならうちも」という、単なる競争相手にたいする"個人的"な対抗意識から、あんがい無計画に設備投資を行なったために苦しんでいるところが多いようだ。"設備投資"はやり方しだいでは、その企業の死命を制するという近代経営の基礎さえ知らなかった、古い型の経営者の一種の悲劇ともいえる。
I飛躍のチャンス
(集団化に踏み切れ・市場開拓が発展への道)
 いま、直方鉄工界全般をおおっている"不況の霧"は、意外に濃いものであることはわかった。そして、これまでみてきたように、同鉄工界は、一部の業者を除いてまだ多くの問題点をかかえている。しかし、直方はやはり"筑豊の鉄都"として大きく伸びゆくことをやめてはならない。直方鉄工界は、その古い伝統による"技術への信用"と、おそまきながらも改善されてきた"生産設備"を持っている。新しい機械器具類の集団生産地として生まれ変わるチャンスは、すでに到来しているといえる。
 「直方市は、現在の機械工業を合理化し"新機種"の開発につとめ、新しい市場を開拓しなければ、こんごの発展は望めない」と、福岡通産局の池芳人産業立地課長は指摘する。つまり、直方鉄工界は@企業経営(労務管理を含めた)の合理化A新製品の開発Bセールス(売り込み)の強化、の三つを徹底的に実行すれば、その未来は、はてしなく明るいということである。いまでは、直方鉄工界がたどってきた歴史にみられる"石炭産業依存至上主義"は、ほとんどの経営者たちの頭から去った。ここで、同鉄工界の新しい歴史をつくるために、将来の発展策を具体的に検討してみよう。
 企業合理化とは、いまさら説明するまでもない。ひと口にいえば"もうかるようにする"ことである。需要の高いものを、安い値段で、すぐれた製品として、大量につくればよいのである。このため、直方鉄工界発展の足がかりといえる直方市中泉の"中泉工場団地"を考えよう。もともと同団地は、同鉄工界のためにつくられたのである。造成前にいわれたよりも予想外に高値だった地価問題に、さいきんの不況が輪をかけて、多くの業者たちの進出意欲にブレーキがかかった格好だが、不況を理由に、中泉の中核となる大企業が進出してくるまで、事態を静観しているようではいつまでたっても体質改善は望めない。
 「企業誘致が合いことばになっていても、大企業の進出にたよっていたのではだめ。地元に地元の手による産業が起こって、自然に発展してゆく道を見つけなければならない」とは、九州財界のリーダーの一人である赤羽善治九電社長があるところで述べたことばだが、直方の鉄工関係者は、とくにかみしめてみる必要がある。さいわい、直方には「地元の手による」鉄工業が起こっている。あとは「ゆく道を見つける」だけである。それには、すでに中泉の完成を待てずに"新天地"に移った企業もあるが、残る企業が中泉団地で集団化する以外にはないようだ。
 中泉団地における工場集団化には、各業者によっていろいろ計画があるだろう。ある者は工場ぐるみの引っ越しを考え、ある者は既存の工場はそのままにして「新工場では新製品を」と考えるだろう。それは各人の自由である。しかし、工場集団化によって受注増加のための共同受注、生産コスト引き下げのための原材料の共同購入などが可能になり、この結果、各工場の設備、その製品は自然に画一化されざるをえなくなるので、中小企業にとっては理想的な同種企業の"協業化"が実現する。つまり、一種の企業合理化が行なわれるのである。
 この中泉団地での同種企業の協業化については、直方市当局でもさいきん、直方鉄工青年会が提案したという"キューポラ(鋳物工場の煙突のこと)の集中化"をそのテストケースとして検討し始めている。現在、工場が散在しているため、ムダの多かった鋳物原料をとかす"炉"を、同規模の十二―三の工場を集団化させることによって一本化し、大幅なコスト・ダウンを見込み、さらに共同受注、製品の均一化をはかろうというのである。
L団結して立ち上がろう
(将来はバラ色・技術向上、協業化の努力)
  <前進への足固め>
 「一般産業部門の機械器具類の集団産地として発展する」―直方鉄工界の進路は決まっている。だから直方鉄工界は、多くの悩みをかかえ濃い"不況の霧"の中にいながらも前進のための足がかりをつかむ努力をつづけている。やり方をくふうすれば、直方鉄工界の将来は明るいのである。
  <キューポラ一本化>
 「直方の鉄工界は下請けだからと自己を卑下してはだめ。また小規模経営の工場だからという劣等感も捨てなければならない」と、加藤昌孝直方市商工課長はいう。俗に"一品料理屋"といわれる下請け工場でも「この部品をつくらせたら、どこにも負けない」という気概を持ち、大企業に製品革命を起こさせるような下請けになればというのが持論である。そして業者たちのフトコロにとび込んで、経営近代化、企業合理化の必要性を力説して回る。直方鉄工青年会が提案した鋳造工場の"キューポラ一本化"を本格的に検討しているのも同課長だ。
  <共同受注計画も>
 「いっぽう、直方の鉄工業者の約半分が加盟している直方鉄工協同組合でも、弘貞利理事長をはじめ幹部たちが中泉団地での工場集団化、さらにこれに加われない業者たちを含めた新しい共同受注機関の設立計画などを並行して検討している。みんなで"力を合わせる"という協業化への努力が行なわれているのである。この中泉団地が産炭地域振興法による日本で初めての工場団地として誕生したのも、実は、同鉄工協同組合員たちの間から出た"工場集団化構想"が発端であった。産炭地域振興法案が、三十六年の通常国会で成立したのは、当時同鉄工協同組合員たちが、それまでに集めたくわしい資料のおかげだったのである。
  <高度の製品に不安>
 現在、中泉工場団地の立て役者である西村直方市長をはじめ、多くの鉄工関係者が首を長くして待つのは、同団地の中核となる大工場の進出である。しかしこの中核企業がきたからといって手ばなしでは喜べない。どのような大企業でも、製カン、鋳造、合金、鍛造、電機、鉄工第二次、溶接、木型、表面処理など種々雑多な直方鉄工界のすべてをうるおすことはできないからである。また、直方における鉄工業集団化の"発起人"であり、産炭地域振興法成立当時の中泉団地進出の"まとめ役"だった西尾善恵さん(元鉄工協同組合理事長)が「現代の大企業は、工場進出のさいに"下請け企業がそろっている土地にひかれる"といっても、もしきた場合に、大企業が求めるような高度の製品を一度に生産できるかどうか」と心配するように、現在の直方の鉄工所は工作機械などもバラバラだからである。
  <急務は技術アップ>
 直方鉄工界の急務は、各企業間の差をなくし、設備、技術をレベルアップすることである。「直方鉄工界は、工場集団化で、事前に大企業進出に即応できる体制をつくっておかねば、中央から下請けが大企業と同時に進出して、トンビに油揚げをさらわれる格好になる」と西尾さんはいう。そしてこれを防ぐためには、地元業者の中泉進出は不可欠であり、さらに同鉄工界の"実力"をたくわえるには共同受注制の実施であるという。
  <孫のためにも>
 中泉に進出意欲を燃やすある業者が「とにかく借金してもいいから、みんなで中泉に行こう。そしてわれわれが全力を尽くして、それでも"苦しみ"がつづいたら、政府の産炭地振興対策は"なっとらん"と開きなおればよい。団結の力で」というのも一つの真理かもしれない。
 ―中泉工場団地にはきょうも人気はない。静かな緑の丘陵に囲まれた広大な敷き地を見ていると"筑豊"という暗いイメージはかき消される。この新天地に、こどものため孫のために、直方の鉄工界が集団移動してくれる日が近ければよいが・・・。
(おわり)
 時には倒産の犠牲者を出しながらも、組合員の血のにじむ努力がつづけられ、製造機種の切り替えは、ほぼ完了しました。残された問題としては、企業の大型化、協同化などがあります。鉄工業は直方における中核産業であるだけに鉄工界に対する期待が大きく、それに応えるために、今後も直方鉄工協同組合の歩く道はけわしいといわなければなりません。
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