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直方鉄工協同組合80年史より〔発行:1981年(昭和56年)3月〕
3.直方鉄工青年会の組織
直方鉄工青年会は、発足以来いくたびか組織の改編を行なって来ましたが、現在の組織は次のようになっています。
直方鉄工青年会の会則
直方鉄工青年会の会則のうち、会の性格や目的、事業などをあらわしている部分は次のとおりです。
第一章 総 則
第一条
名称
本会は、直方鉄工青年会(NOGATA INDUSTRIES JUNIOR)と称する。
第二条
事務所
本会の事務所は直方市内(直方鉄工協同組合内)に置く。
第三条
目的
本会は、鉄工業界に於ける経営、その他諸問題に関する調査・研究をし、会員相互の練磨・親睦・啓発に努め、地域社会の政治・経済・社会・文化等の発展を図る事を目的とする。
第四条
運営の原則
本会は特定の個人、法人、その他の団体の利益を目的とする事業を行なわない。
第五条
事業
本会はその目的の達成のため、次の事業を行なう。
(1)
経営管理問題・政治・経済・社会・文化等に関する調査、研究及びその改善に資する計画の立案と実現を推進する事業。
(2)
指導力啓発の知識並びに教養の修得と向上、及び能力の開発を利する事業。
(3)
各地工業都市諸団体、関係諸機関との提携及び情報交換をし相互の理解と親善を増進する事業。
(4)
その他、本会の目的達成に必要な事業。
第六条
事業年度
本会の事業年度は、毎年四月一日に始まり翌年三月三十一日に終る。
4.直方鉄工青年会の役員
直方鉄工青年会の役員のうち、歴代の会長および副会長は次のとおりです。
任 期
会 長
副 会 長
初代
昭和39年4月〜昭和41年3月
村井 博
大田 政男 飯野 精一郎
二代
昭和41年4月〜昭和42年3月
村井 博
大田 政男 飯野 精一郎
三代
昭和42年4月〜昭和43年3月
大田 政男
飯野 精一郎 村口 豊隆
四代
昭和43年4月〜昭和44年3月
飯野 精一郎
石本 高由 村口 豊隆
五代
昭和44年4月〜昭和45年3月
村口 豊隆
石本 高由 小野原 計顕
六代
昭和45年4月〜昭和46年3月
佐田 正兼
小野原 計顕 飯野 大三郎
七代
昭和46年4月〜昭和47年3月
小野原 計顕
飯野 大三郎 弘 幸泰
八代
昭和47年4月〜昭和48年3月
飯野 大三郎
若林 武己 内藤 博俊
九代
昭和48年4月〜昭和49年3月
若林 武己
弘 幸泰 大島 誠三
十代
昭和49年4月〜昭和50年3月
弘 幸泰
南 和彦 内藤 博俊
十一代
昭和50年4月〜昭和51年3月
石橋 勲
山本 忠志 内藤 博俊
十二代
昭和51年4月〜昭和52年3月
大島 誠三
井上 準一郎 山本 忠志
十三代
昭和52年4月〜昭和53年3月
井上 準一郎
内藤 博俊 高野浦 篤
十四代
昭和53年4月〜昭和54年3月
山本 忠志
内藤 剛 堀尾 斉
十五代
昭和54年4月〜昭和55月3月
内藤 博俊
高野浦 篤 弘 信之
十六代
昭和55年4月〜昭和56年3月
高野浦 篤
半田 景久 内藤 剛
5.今後の直方鉄工青年会
昭和五十五年度の直方鉄工青年会会長高野浦篤氏は、このたびの直方鉄工協同組合80年史刊行にあたり、次のような挨拶をよせました。
鉄工協同組合80年史発刊によせて
「直方鉄工協同組合80年史を刊行されるに当たり、歴代の先輩会長方には僣越ではございますが、ちょうど十六代会長にあたりますので、ご挨拶をおくらせていただきます。
戦後三十五年、日本は経済大国といわれるまで成長し、基幹産業である鉄鋼を中心に、船、自動車と世界一の生産と技術を誇っております。
この80年史にも見られます様に、鉄と石炭の発展と共に直方の鉄工業も発展して来ました。
第16代会長 高野浦 篤氏
この様な歴史を持つ直方鉄工界の将来を預る我々の責務は何かと申しますと、まず優秀な人材の養成にあると思います。
冒頭にも申し上げましたが、日本が経済大国と云われるまでに発展した根底には、日本人の勤勉性と努力があります。亦大企業の力ばかりでなく、それを支えてきた中小企業の努力の及ぶ所が大であります。
亦、人間の頭脳には限りがなく、次々と新しい物を産み出して行きます。松下電器の会長である松下幸之助氏も将来の日本を動かす人材を養成するため学校を作られました。
直方が鉄工の町として発展するためには直方で優秀な機械を造り良い製品を造り出す人材が必要です。その為には県や国に働きかけ、筑豊に工業大学を誘致し、優秀な中小企業の集団と人材に依り、付加価値の高い製品を作り出す事だと思います。
先日、『月刊のおがた』の五十五年十月号を読んでおりますと、筑豊は日本一生活保護者が多いと云う記事が出ていましたが、これは自慢できる事でなく、筑豊にとっては大変な恥だと思います。産炭地六法も後一年で切れようとしている(のち十年延長案決まる)。いつまでも産炭地ではないのだ。働けない病人、老人は別として働ける体を持った者は、働く意欲を持っていただき、一日も早く、日本一の生活保護者の集団の汚名を返上しなくてはならないと思います。その為にも地域の産業の発展が必要であり、その為の人材の養成が大切だと信じます。
最後に、鉄工協同組合80年史によせてかってな事を書きましたが、鉄工青年会も今後会員の若い頭脳と行動力を結集して、鉄工の町『直方』作りに努力して行きたいと思います。
直方鉄工青年会 第十六代会長 高野浦 篤 」
発足以来十六年、今後も鉄工青年会は順調な歩みを続けると思われます。
個人であろうと、組織であろうと、何かを試みようとするものにとって最も必要なことは、初心を忘れないということでしょう。
二十周年、三十周年の未来へ向かって、力強い足どりを期待したいものです。
長崎研修旅行
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